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2023年12月06日

詩人会議 新春号

記憶と声
                 
                      芝憲子

戦後生まれで
国をこえた反省の時代に
育ったはずだった
学校では 
国際連合ができたので
もう戦争は起きないと
教えられた

それがこの惨!
わたしの短い人生のおわりに起きている
戦争の時代

ロンドンにいたとき
パレスチナ人の一家と仲良くなった
「自分たちは難民だ」と悔しがっていた
難民だらけになった世界
またも戦場にというオキナワで
「子どもを殺すな」というボードを
自分の娘と持って立つ

人類が何度も浴びた反省の記憶は
現在のリーダーたちの脳には
しみ込んでいないのだろうか

記憶が
地からわきでる声になり
「子どもを殺すな
NO WAR」

   (『詩人会議』 2024.1月号)

  


Posted by NORIKO at 20:13Comments(1)

2023年12月06日

沖縄の花

 沖縄の花
               芝憲子

那覇で初めて会った
ずっと咲いている真っ白な花
五〇センチほどの高さで
蘭(ラン)と同じくらい長い間咲いている

クルクマ
別名 ホワイトジャスミン 
ショウガ科でウコンの仲間だという
あまりに長く咲いているのだが
花弁に見えるのは苞(ほう)で
花はその中にあると
のぞきこむと
ゴマ塩みたいなのがある

この苞は
完全に花に見える一二枚の真っ白な花弁を
誇り高く かがやかしく
優勝カップのように
かざしている

真っ白な花弁が散っても
下のちいさな花は
茶色で クスリ と言いたげに
ずっと生きている

花のむこうには那覇軍港
返すなら更地のはずが
サイロのような建造物ができ
クレーンが二台動き
上空を毎日オスプレイが飛ぶ

  (『民主文学』 2023.12月号)
  


Posted by NORIKO at 20:07Comments(0)

2023年12月06日

沖縄で平和集会、講座盛ん

 沖縄で平和集会、講座盛ん
                                  芝憲子


沖縄では今、反戦平和の集会や学習講座が盛んに開かれています。あまりに頻繁で全部に付き合うことはできませんが、翁長知事の頃や、復帰運動の頃の集会、デモ、の多さを思い出させます。十月二十一日(土)は糸満の平和祈念公園で、オール沖縄主催の「遺骨の眠る土砂を埋め立てに使わせない一〇.二一県民集会」が開かれ、約六五〇人が集まりました。稲嶺進元名護市長や、ガマフヤーの具志堅隆松さんが挨拶し、糸満のグループが短歌を謡いました。十月三十日(月)は、玉城デニー知事を励ます裁判所前の集会でした。事前集会と事後集会があり、私は事後集会に行きました。裁判所を出てきた玉城知事に皆で「知事の不承認支持」のボードを掲げ、口々に激励しました。十一月五日(日)は、オール沖縄主催の「国による代執行を許さない!デニー知事と共に地方自治を守る県民大集会」で、北谷ドームで、一八〇〇人が集まりました。マイクのうしろに、デニー知事をはじめ、衆参議員、県議、地方議員らが並び、壮観でした。デニー知事は「私が皆さんの矢面に立つ。国民の皆さんにも、沖縄県民が一つになるその気持ちをしっかりと分かち合っていただきたい。負きてぃーないびらんどー」と述べました。十一月二十三日(祝日)は、県民平和大集会でした。「沖縄を再び戦場にさせない県民の会」主催で、奥武山公園陸上競技場に、1万人以上が集まりました。玉城デニー知事は来賓あいさつで「なぜ日本政府は沖縄の不条理に正面から向き合おうとしないのか。その不条理が存在する限り、絶対にひるまず行動し、平和のため声を上げ続けていこうではありませんか。平和でなければ観光客は来ません。経済も回りません。シェルターにばかり逃げていたら勉強も仕事も出来ません。私たちはパレスチナ自治区ガザ地区や、たくさんの悲劇に見舞われ、逃げる場所すらない人々の表情を見て、危機感を抱いていると思います。子どもたちの未来が戦争の未来であってはならない。不穏な未来であってはならない。毎日の苦しい状況があったとしても私でさえ頑張ることが出来ています。みんなが一緒であれば、必ずその頑張る気持ちがひとつにつながります。」と述べ、若い世代とともに進もうという意図がよく表れた集会でした。
  (「詩人会議」2024.1月号 詩人会議通信欄)  


Posted by NORIKO at 19:53Comments(0)エッセイ

2023年11月30日

玉城知事がんばれ

玉城知事がんばれの機運
                                 芝憲子

沖縄では辺野古新基地をめぐる最高裁の不当判決に対し、玉城県知事が「承認しない」という表明をしたので、知事を応援、がんばれ、という機運が非常に高まっています。国による代執行にむけた動きへの怒りが沸き上がり、連日のように集会や学習会が持たれています。私は七日の県民大行動に、久しぶりに辺野古へ行きました。那覇からのバスには「詩人会議」でお世話になっている桜井国俊先生、六月号の藤原健さんご夫婦も乗られました。辺野古テントのベンチは満席で、道路の反対側にもぎっしり、プラカードなどを持った人たちが立っていました。九〇〇人が参加。赤嶺政賢衆院議員は、「知事は沖縄県民の尊厳を守った。政府にとって恐ろしいのは県民が団結することだ」と述べ、徳田博人琉球大教授(行政法)は、「知事は理論的に負けておらず、国際社会にも主張が通っていくだろう」と述べました。六月号の神谷毅さん、中正勇さんともお会いしました。なお、行きのバスに乗ってきた「沖縄タイムス」の記者に取材され、一〇月九日に記事が載りました。偶然、以前私の詩集評を扱った担当記者で詩人会議のことも書かれ、ここに引用します。見出しが『詩人芝さん辺野古で訴えー沖縄の思いを伝えたい」で、写真入りで、「辺野古あなたのぶんも」の詩を引用後、『県外では詩人の壷井繁治さんらが創刊した詩誌が何度も沖縄特集を組んでいる。自身も詩編を寄せながら、「若い詩人もたくさん関わっている。沖縄の思いを伝えたい」と力を込めた。』でした。なお玉城知事にも時々本誌を送っている、と編集の高橋さんから伺いました。.

  (詩人会議 2023.12月号 )





  


Posted by NORIKO at 18:23Comments(0)エッセイ

2023年11月04日

39年目の金曜昼休みデモ

 
   39年目の金曜昼休みデモ


毎週金曜日、県庁の周りを歩く「金曜昼休みデモ」は、なんと(!)、39年も続いています。盆や正月でも休まず、 台風でも路線バスが全面運休にならない限り、よっぽどでないと休みません。このデモは1984年2月、アメリカのアジア・太平洋地域への核巡航ミサイル、トマホークの配備に反対して、県原水協、統一連、平和委員会の提唱で始まりました。最近はシュプレヒコールで「核兵器禁止条約を批准せよ」のほか、「安保三文書反対」「沖縄をミサイル基地にするな」「辺野古新基地反対」「辺野古に南部の土砂を使うな」「沖縄戦をくり返すな」「デニー知事とともに頑張ろう」等を訴えています。県庁と市役所の間の道のフクギの木の下から、12時半出発で約30分間、民商の車を先頭に歩きます。始めの頃から運転や警察の許可申請などの世話をして、長年の継続に力を尽くしてきたのは島袋朝一さんです。10月20日は2050回目で、参加者は12名でした。これでも最近では多い方で、北海道や、千葉の方や、キューバの方もみえました。毎年2月など、チラシを『赤旗』に入れて知らせをすると、参加者が4,50人にふえます。嬉野京子さんによれば、1984年頃、全国で核トマホーク反対の運動が起こったが、続いているのは沖縄だけだそうです。反戦平和運動が切実で、復帰や反基地運動の中心を担った沖縄だからだと思います。先頭には長い間、古堅実吉元衆院議員や、阿波根弁護士、(故)宮里政秋元県議がいらっしゃいました。今は、赤嶺政賢衆院議員、渡久地修県議、上原安夫元市議なども時々参加しながら、今までの本当に沢山の方々の意志を継いで歩いています。皆様もどうぞいらして下さい。一緒に歩きましょう。   (芝憲子)

(新基地建設反対名護共同センター ニュース 442号   2023,10.26))
  


Posted by NORIKO at 19:29Comments(0)エッセイ

2023年08月08日

沖縄の海が


 沖縄の海が
                芝憲子
宮古島沖で
ヘリコプターが墜落した
自衛隊幹部ら十人が乗っていた

ニュースが流れたとき
沖縄のだれもが思った
海がひきこんだのだ
軍に殺された家族がいる海が

口には出さなかった

サンゴに混じった骨片が
正露丸よりちいさくなった眼球が
DNAがのこった波が

復帰当時
自衛隊は日本軍の再来だと
忌み嫌われた
アパートは絶対貸さない
成人式に参加も問題になった

海底にいても
あやしい低空飛行の自衛隊機はみのがさない
ない腕をのばしてひきこむ

四十五億年の海にいる
        
      (『詩人会議』2023.8月号より)
  


Posted by NORIKO at 18:35Comments(0)

2023年06月02日

うたごえ新聞

「うたごえ新聞」2023年6月5日号の1面に、「沖縄はいま」というタイトルで、私の文や、沖縄の写真がのっています。
うたごえ新聞は、全国のうたごえ運動の核となっている週刊の新聞です。ネットでも1面は読め「うたごえ新聞 最新号」や「うたごえ新聞 6月5日号」で検索すると見ることができます。見出しは「県民の怒りと不安、自衛隊強化・拡大」です。

「詩人会議」2023年6月号も特集「いま、沖縄からの発信」で、充実したエッセイや詩がのっています。私は地域編集員として、書き手の皆様に協力していただき、大変ありがたいことでした。
エッセイは、藤原健、秋山道宏、松下博文、宮城晴美、新城和博、神谷毅の各 氏で、いずれも今現在の沖縄の問題を深く掘り下げた
すばらしいエッセイです。。
 
藤原健   沖縄の「そのとき」、「いま」、「これから」ー変わらぬ「続く苦悩」
 秋山道宏  戦争と平和の「リアリティ」
 松下博文  第一列島線・南西諸島を再び捨て石として利用しないでいただきたい
 新城和博  照る月は変わらないけれど
 神谷 毅   辺野古座り込み九年
 宮城晴美  終わらない米軍の占領意識ー沖縄における女性への性犯罪をとおして
 上里清美  島の未来につないで生きるために紛争の解決は外交努力で!

「詩人会議」は月刊誌で、おいている書店もありますが数少なく、普通の書店か、「詩人会議」事務所に注文すると購読できます。


  


Posted by NORIKO at 22:34Comments(0)エッセイ

2023年05月15日

天国記者

   
      天国記者   
                       芝憲子



いつも かならずいた
カメラを下げて 最前列に

二〇二三年二月一日のメール
 芝さんへ 昨日は電話ありがとうございました。
 原稿の件は、正直現在の健康状態では自信がありま
 せん。まだ、今後の治療方針も定まっていませんの
 で、心が揺れ動いている状態なのです。
 三日に家族と共に千葉に帰ります。 早坂義郎

二月二六日 亡くなったちょうどその日
わたしはメールを送っていた
 その後いかがですか。こちらは名護共同センター
 ニュースがなくなったので大痛手です。県民広場で
 昨日は辺野古国会請願署名のキックオフ集会、今日
 は「島々を戦場にするな、沖縄を平和発信の場に緊
 急集会」で、デモもありましたが早坂さんがいらっ
 しゃらないので寂しい限りです。今日のメールは近
 所の民商会員の方のことです。肺ガンがステージ4
 で余命数か月といわれたそうですが、わたしが行っ
 たとき、その日の検査でとても小さくなったと喜ば
 れガンはなおるから教えたいとおっしゃり、フコイ
 ダンを毎日とる、食事は沢山食べる、新薬は・・・

もっと話したかった 後悔のなか
ひとつだけ伝えてよかったこと
いつかの集会の帰り日頃思っていたことをいった
「尊敬していますから」
不審な顔で
「だれが だれを?」ときいた
「わたしが 早坂さんを」といった
表情はおぼえていない
だまってあるいていった
あのとききっと
パレット久茂地の舗道が
イワシ雲に変わっていった

 (『詩人会議』2023.6月号 特集「今、沖縄からの発信」より)
  


Posted by NORIKO at 11:21Comments(0)

2023年05月15日

トマホーク

  反トマホークの木
                    芝憲子



深緑(ふかみどり)の楕円の葉をびっしりとつける福(フク)木(ギ)
かたい幹の横から
抗議が出発した

一九八四年二月一七日 
毎週金曜日十二時半
「核トマホークくるな昼休みデモ」
今は三八周年
大雨の日も台風の日も
那覇バスが全面ストップにならない限り
19〇〇目 とシートを張った民商の車を先頭に
カッパを着てプラカードをもって一歩一歩

古堅実吉さん 始めの頃から横断幕をもって先頭に 九一才まで
(故)宮里政秋さん「県民大会に出られないなら死んだ方がましだ」
古堅さんと毎週辺野古と高江に通った
おふたりの偉大な人生の幾分かを一緒に歩けたことがありがたい

赤嶺政賢さん「僕らが続けないと。勝つまであきらめない」
仲本る美子さん「ここに来る人はファミりー」  
鳥飼富久子さん マイクで美声「核兵器のない世界を」「沖縄戦を繰り返すな」
嬉野京子さん「三八年前東京で平和委員会のチラシ作りを手伝った
全国で反トマホーク運動がおこったが続いているのは沖縄だけ」
なぜ沖縄だけ続いているのか 一番危険だからか
集まるのが四,五人の時もやめようとしたことがない

数十年 島袋朝一さんが道路使用許可を申請してきた
島袋さんがいなければ昼デモは続かなかった

阿波根昌秀さん、外間久子さん、前田ちひろさん、比嘉みずきさん、鶴渕賢治さん、
小池勲さん、神山幸子さん。久手堅幸子さん、村山純さん、諸見川雅文さん、佐事安夫さん、国吉さん、藤原さん、横田さん、棚原さん、初美さん、信子さん,小林さん、渡嘉敷さん、八重子さん、玉城政光さん、
数えきれないあの人もこの人も一緒に歩いた      

二〇〇〇回目の二〇二二年十月二八日
きたきた 四〇人 なつかしい人たち 新しい人たち
那覇市長選に負けたくやしさを胸に
久しぶりに長いデモ 道を歩く人が手をふる

二〇〇〇回にあわせたかのように
使わなくなったと思った「トマホーク」が現れた
政府が巡航ミサイルトマホークをアメリカから買う計画
五〇〇発 一発一億円か と思ったら 
二一一三億円!  
非核三原則はどうなった
敵基地攻撃能力を反撃能力に言いかえ
憲法違反を平気でふやす
コスタリカならとっくにつかまっている

福木は白い花をつけ 熟した黄色い実を落とす
柿そっくりだがくさくて食べられない
実を道にポタポタと
根元に 若い葉を伸ばす月桃も抱いて
防風林になるこの木が 三八年の目じるし 

目じるしのザラリとした木肌に軽く触れてから
今日も出発する
 

米 県庁裏の道から毎週デモしています。
        どなたでも手ぶらでご参加下さい。
     
       (『縄』 44号 2023.2月)

  


Posted by NORIKO at 11:11Comments(0)

2023年01月04日

憲法24条を起草したベアテさんへ

新年おめでとうございます。
今年の9月3日(日)、合唱グループ「コールかるがも」の30周年記念コンサートが行われます。
場所は、代々木上原駅近くの、けやきホールで(古賀政男記念館)です。大西進先生のすばらしい曲の数々と、
伊藤千尋さんの、お話が聞けます。私作詞で、大西先生作曲の、「孫とピアノ曲・憲法」という曲も
合唱されます。私はこの頃足が痛くて、遠くに行けず、東京には行けませんが、お近くのお知り合いは、いらしていただけると
ありがたいです。この頃このブログへの入力もスムーズにいかず、今日のも変です。すみません。
 
以下の詩は、「詩人会議」2023.1月号にのりました。あたらしい詩です。

ウクライナが憲法に 
        芝 憲子

ベアテ・シロタ・ゴードンさん
天国でご両親にお会いになれたことでしょう
わたしは日本の沖縄で 毎日のように
あなたのお父さんのピアノを聞いています
ユーチューブから流れる九〇年近く前のピアノ
ストラヴィンスキーの「ペトリューシュカ」
ルービンシュタインが愕然としたという
レオ・シロタの超絶技巧のピアノ

画像は お父さんの横顔 
座っている木の椅子 壁紙 壁にさがった飾り物 
赤坂の家でしょうか 東京音楽学校でしょうか
それとも戦後渡ったアメリカでしょうか
敗戦直後餓死寸前だった軽井沢ではありませんね

お父さんはウクライナ系ユダヤ人 レオ・シロタ   
お母さんもウクライナ系ユダヤ人アウグスティーネ
ふたりはキエフから外国へ    
あなたは五才で日本にきて
客に「好きな音楽は?」と聞かれると
「ストラヴィンスキー」と答えたそうですね

日本にとって幸いなことに
あなたはお母さんに「ピアノの才能がないから」と
英語やフランス語の家庭教師をつけられた
おかげで数か国語に堪能になり      
二二才で日本国憲法の作成に情熱を注ぎましたね
特に二四条はあなたが起草して下さいました

レオ・シロタが超絶ピアノ技法をもったように
わたしたちは超絶憲法をもった
戦争放棄を ピアノの連音のように速く正確に 
敗戦直後の反省をくりかえし
楽譜に連隊音は入れず
レオ・シロタが弾いた国々(米)にも
響くように しみわたるように 輝かしく
米ロシア オーストリア ドイツ フランス ベルギー 中国 アメリカなど

 .
  


Posted by NORIKO at 18:43Comments(0)

2022年11月23日

11月23日の記事

詩誌『1/2』(にぶんのいち)68号より
  
合唱組曲成功と“うたごえ ”
芝 憲子

 今年の八月二十一日、私が作詞し、池辺普一郎先生が作曲した混声合唱組曲「沖縄は叫ぶー平和・命・心のかなめー」の公演がありました。会場は、浦添市のアイムユニバースてだこ大ホールで、一〇〇〇人入ります。大きな会場ですが、音響がよく、一番後ろの席まで、声がよく響くところでした。八月二十一日は、沖縄のコロナ感染者がまだまだ多い時で、近くの知り合いの家族も次々に感染した時期でした。さらに、九月十一日投票の県知事選と県議補選の運動の真っ最中で、告示前最後の日曜日という重要な日でした。知り合いには選挙運動をやってもらいたいという気持ちが強いので、コンサートに強く誘うのも気が引けました。チケットを買って下さって、来られなかった方々が沢山いらっしゃいました。
今回、全国の支援もものすごく、県知事選、県議補選、両方ともオール沖縄の玉城デニーさんと、上原カイザさんが勝利し、本当にほっとしました。
おかげさまで公演は成功といってよく、客席は七割位埋まっているように見えました。実際には500人近くで、感想アンケートが一七〇人分も集まりました。これはめったにないことだそうで、しかもぎっしり書いてあるそうです。混声合唱組曲「沖縄は叫ぶ」は最後に、池辺先生指揮で合唱されました。神戸から二〇人と、県内六〇人、計八〇人で歌われました。三,四、五楽章のおわりに拍手がおこる(終わったと間違えたのではなく!)など、盛り上がりました。実行委員長の源啓祐先生も拍手したそうです。六楽章終わったときは、大拍手とともに、指笛も高く鳴って、沖縄ならでは、でした。沖縄のうたごえ運動に初期から携わった浦崎直定さんは、最後は歌いながら鳥肌が立った、とおっしゃっていました。池辺先生も満足そうでした。あとで、「本番に強い合唱団だ」とおっしゃいました。池辺先生作曲の公演は「海のトランペット」「無言館」など二年おきに行われていたのですが、今回ははじめて《沖縄発の曲》を、ということで、私に作詞依頼がきたのです。コロナで、公演予定が3回くらい延び、今回、やっと実現しました。そして、その間にロシアによるウクライナ侵略がはじまり、平和をねがう曲を歌うのが待たれていた、とも言えます。
 歌詞はタイトルが「おかあさん」「四〇〇の御霊(みたま)」「オキナワというだけで」「辺野古 あなたのぶんも」「空は起きたて」「沖縄から世界へ」の六楽章でできています。一~五楽章までは、私が以前に出した詩集から石垣潔さん(うたごえ沖縄協議会会長)が選んだ詩が元で、六楽章だけは新しく書いた詞です。池辺先生の作曲は、劇的で、なにか壮大な歴史曲(こんな言葉はないと思いますが)のようにして下さいました。格調が高い曲ともいわれます。それを八〇人が混声で合唱したので、迫力がありました。
合唱前の舞台での私との対談で、先生は、「僕はシがない作曲家です」と笑わせ、詩の大事さについて話され、プログラムの詩を見ながら聞いてもよいのでは、とおっしゃってくださったので、観客の方々は詩を文字でも読まれたと思います。感想でも詩についてたくさん書いてあるそうです。こんな風に大勢の方に詩を読まれ、曲と共に詩を聞いて下さったことははじめてで、本当にありがたいことでした。対談は約一五分でした。合唱の方々は、五分、一〇分の歌のために何か月も練習してくるのに、対談は打ち合わせもほとんどなく、ぶっつけ本番がよいと言われて、人前での話が苦手な私は何を話したらよいのか、申し訳なく、プレッシャーでした。対談とシャレの名手の池辺先生に合わせて、私もダジャレを考えたり(?)して、なんとか対応でき、あとで、「面白かった」とか「楽しかった」と言われて、よかった、と思いました。公演成功のために、私も、プログラムの広告とりから、チケット売り、団員用ニュースへの原稿書き、DVDの注文とりなど、実行委員並みにやったつもりです。作詞者って、地元にいるとこんなに大変(!)、と思いました。団員用ニュースは、9回位発行されました。実行委員会副会長の浦崎直定さんと、実行委員の一人の名嘉正勇さん(詩人会議の中さん)が、頑張って原稿を集め、印刷、発行して下さいました。浦崎さんと中さんは、テノールのメンバーで、山田健さん指導の練習にも毎週参加しながら、重責の石垣潔さんを中心に実行委員他、皆よくがんばり、コロナ禍でも催しが成功した珍しい例です。公演後「琉球新報」「沖縄タイムス」「名護共同センターニュース」に、記事がのりました。以前の二年おきの公演ではなかった反響だそうです。私は自分の詩が合唱で歌われて、恥ずかしいような、誇らしいような、ヘンな気持ちで、自分の詩でも役に立つのだ、と驚いているところです。
メロディーがいつまでも残る第三楽章の詩は次の通りです。
 
   オキナワというだけで
「オキナワというだけで/こみあげてくるもの/オキナワというだけで /トクトクと動きだすもの/ただの地名ではなく/ 血のかよった自分自身/どんなふうに亡くなったのか /どんなふうに生きのびたのか/ 七五年たって/ やっと話すことができる // いたるところに米軍のフェンス/だれもが頭のすみで考えている/ 亡くなった人々のことを/島を背負う子どもたちのことを/戦闘機の下のわたしたちのことを/フェンスが消える日のことを//わたしたち自身を/この手に抱き/とりもどそう」

 この公演は、うたごえ運動の一環といってよく、毎週発行の「うたごえ新聞」の三輪純永編集長もみえて、うたごえ新聞に大きくとりあげられました。沖縄のうたごえ運動は復帰前から、一九五六年ごろからのようです。九州からはじまり、全国で復帰運動とともに歌われた「沖縄を返せ」の歌が象徴的だと思いますが、平和のたたかいと共にあります。私も「沖縄を返せ」や「がんばろう」は、沖縄に来る前から、デモや集会のたびに歌っていましたが、そのほかには”うたごえ”にはそんなに関係なかった、と思っていたのですが
、今回、色々思い出したら、そうでもなく、若い頃から色々つながっていました。私がいた県立川崎高校は、お昼休みに講堂で、うたごえの合唱をやっていて、級友とよく行きました。「若者よ」とか「原爆を許すまじ」とか、たぶん生徒会の役員主導で歌いました。文芸部では、自分たちで歌集を作って、ロシア民謡とか、「国際学生連盟のうた」とか、歌いました。沖縄に来てからは、友人に誘われて波の上の「あかつきの大合唱」に行ったり、沖縄青年合唱団の鶴渕信子さん(旧姓盛島さん)に、全国の支援でできた美栄橋の市民集会所でお会いしたりしました。それから作曲家の大西進先生や、杉本信夫先生、大成京子さん(旧姓大工廻さん)にもお会いしました。後に三線をサークルに習いに行ったら、先生は赤嶺成輝さんで、沖縄のうたごえ運動の先駆者です。日本のうたごえ実行委から寄贈されたアコーディオンを弾いて、沖縄中を回った方です。皆様に感謝を伝える機会もなく、ここにお名前を入れさせていただくものです。

( 詩誌「1/2」68号 2022.11.1発行より   コピーがうまくいかず、エッセイの最初の方がはいっていないかもしれません。
  一応、これだけのせさせていただきます。)


  


Posted by NORIKO at 12:53Comments(0)エッセイ

2022年09月02日

合唱コンサート「沖縄は叫ぶ―平和・命・心のかなめ」

  合唱コンサート成功

8月21日に、混声合唱組曲「沖縄は叫ぶー平和・命・心のかなめ」(芝憲子作詞、池辺普一郎作曲)の、沖縄初演があり、大きく成功しました。コロナの中、きてくださるのも大変で、その上、県知事選の真っ最中で、知り合いを強く誘うのも気がひけ、どうなるかと、心配でしたが、皆さん、たくさん来てくださいました。1000人の客席は7割がたうまっていました。舞台参加者は170人でした。 私と池辺先生の対談もありました。15分で、無事にできて、ほんとにホットしました。

組曲は自分でいうのもなんですが、合唱が大変好評で、「今までのコンサートで最高」とか、「とても感動した」といわれ、感想文もいままでになくたくさん集まっているそうです。池辺先生や、山田健先生、源啓介先生はじめ、関わった方々にあつくお礼申し上げます。準備、練習、プログラム作り、など、ものすごい仕事量で、事務局長の石垣潔様はじめ実行委員の皆様に大感謝です。練習中は今までではじめて、浦崎直定さんと、名嘉正勇さんのおかげで、毎回ニュースが出され、沖縄各地の合唱団、個人、をまとめる役割を果たしてくださいました。

公演後「沖縄タイムス」「琉球新報」「新基地建設反対名護共同センターニュース」「うたごえ新聞」などに記事になりました。
下記に「うたごえ新聞」9月5日号の記事(ネットで見られます。写真つき)の一部をコピーします。(ほかの記事は私にはすぐコピーできなくて)


『今回の注目企画の一つは、混声合唱組曲「沖縄は叫ぶ」。
芝憲子さんの詩に、池辺晋一郎さんの曲で、沖縄の歴史をたどり、今、沖縄から世界へ平和への思いが綴られた構成になっています。
覚えておられますか?本紙では2015年から2018年にかけて「沖縄の叫び」という連載企画を行い大変好評でした。
内容も、この組曲のように、沖縄の歴史から諸問題を、多方面からの筆者で幅広く深い視点で構成されたものでした。
できたら単行本企画にならないかな、と期待していたのですが、やはり「うたごえ」ですからこういう形になったのですね。』











  続きを読む


Posted by NORIKO at 09:17Comments(0)エッセイ

2022年08月10日

コンサートのお知らせ

沖縄発の混声合唱組曲「沖縄は叫ぶー平和。命。心のかなめー」 作詞 芝憲子、
作曲 池辺普一郎、のコンサート
   
     8月21日(日) 浦添てだこ大ホール 午後1時半から
     一般2500円、学生1000円、高校生以下500円
     障害者 無料(付き添いも)
    
    主催 「沖縄は叫ぶ」実行委員会 (プレイガイド等で販売)


曲は、自分の詞とは思えない、なにか、劇的な曲です。 
この6楽章の混声合唱組曲の発表の前の時間に、池辺先生とわたしの対談15分があります。
コロナの上、県知事選の真っ最中のコンサートなのですが、大変多くの方々が協力、奮闘中です。
     


Posted by NORIKO at 18:37Comments(0)エッセイ

2022年03月09日

コロナ鍋

(タイトル)書きたいことをどんどん
            
        コロナ鍋

アルファカブも
デルタカブも
オミクロンカブも
島伝統のシンメー鍋(ナ-ビ)に投げ込んで
ぐつぐつぐつ
薬草フーチバーも入れる

途中で腹が立って
森かけそばも
桜の押しずしも
アベカワモチも
スガ秘書持参の隠し味も
キシダメンも 
地位チャーハンも
みんな入れてしまう
ぐつぐつぐつ

異様な色とにおいに吐き気
禍(わざわい)の鍋あふれて
キッチン 滅茶苦茶
なんとか運ぼう キチにきっちり

鍋ごと大陸に帰ってね
守るどころか
ウイルスをまきちらしながら
戦争に引きずり込む
沖縄をまた殺そうとしている
二度とだまされない

大浦湾の海底のドロドロ
ぐつぐつぐつと 
拒否震動 



 この詩にはむずかしい表現は何もなく、ダジャレでふざけています。コロナ名を蕪にかけ、沖縄伝統
のシンメー鍋という大鍋に入れるという発想から、終わりまで、割にスラスラ書きました。政治家への不満、
不条理を食物名にして直接的に入れた詩です。


私の最近の方法は、現実をもとに、書きたいことを書きたいように、あまり考えずに書いています。
実はこの欄には別の詩(「島の息吹」)のことを書くつもりでした。けれども一月二三日の名護市長選
、南城市長選で、オール沖縄の候補者が負けてしまい、がっくりきました。ご承知の通り、辺野古新基
地ストップに関わるとても大事な選挙でした。誰にともなく、自分にも含めて「もーっ!」と毎日怒っ
ています。

それで急に予定していた詩をやめ、政治的なことへの腹立たしい気持ちが出ている一番新し
い作品にしました。詩の専門誌である『詩人会議』の読者の方々の目に触れたらありがたいです。この
詩は『民主文学』四月号に掲載されます。言葉に政治家の名を使って、直接的すぎてばかばかしいと、
壷井繁治氏にも叱られそうです。壷井氏の『政治的であることと文学的であること』の、昔傍線を引い
た文を読み返し、自分は時々読んだ方がいいと思いました。壷井氏の文です。

「今日は最も政治的な時代であり、詩人といえども政治の大きな機構のなかに組みこまれた人間で
あることを否定するわけにはいかない。若しも詩人が詩人であるということを理由に、政治から眼をそ
むけるならば、それは現実の最も重要な部分から眼をそむけることを意味する。詩が政治的であるとい
うことは、その詩に安易に、いわゆる〈政治的用語〉を盛り込むということでなく、今日の現実を根幹的
に動かしているところの、政治機構が織りだす社会のさまざまな模様の裏に潜む本質的意味をさぐりあ
てること、今日の政治によって歪められた人間内部の暗黒的部分や、その意識的な深層部に光りをあて、
それを外部にとりだして、陽ぼしにかけることである。」

先日亡くなられた浅尾忠男氏の『詩人と権力』 も必読書ではないでしょうか。「詩人会議」は現在  
も本当にすぐれた先輩詩人達を持っており、編集部、事務局のおかげで毎月発刊という偉業を続け、
日本の現代詩の流れを作っていると思います。

私の詩は時々「政治的用語」も使ってしまいます。言葉と共に行動が大事という考えが基礎にあり、日
常が平和運動の端の端になっているからです。

又「わかり易くてこれなら自分にも書ける」と言われ、嬉しいです。どんどん書いていただきたいです。詩
は大変自由な表現方法で、詩の中で鳥にも魚にも総理大臣にもなれます。書きたいことを書きたいよう
に、自分の言葉で書けばいいのだと思います。  
           
            (『詩人会議』 2022.4月号、「詩作入門」より)
                 
  


Posted by NORIKO at 19:44Comments(0)エッセイ

2022年02月03日

2月3日の記事

詩  島の息吹(いぶき)
               芝憲子

朝のかがやき
夕のなみおと
深海を吸って  
花 咲きおどる

いくさが終わり
パスポートもいらなくなって 
やっとのんびり寝ころがっているのに
どこかの大陸がのさばる空から
窓や水筒が降ってくる
まだ赤い傷口に突き刺さる
五〇年ゆっくり眠れない

髪は 燃えた辺戸岬
あたまは辺野古
勝つまであきらめない  
からだは 中部
三線 ダンス 空手にマラソン
那覇や豊見城は心臓だ
子ガメ孫ガメ パタパタと
離島は指  
隊はいらない
足は南部の土砂のなか
先祖もともに守っている 

島は天才
縦横無尽のシマヂカラ
島の息吹(いぶき)にうながされ
列島のバネも
はじける音がする       

  (日刊『赤旗』 2022.1.1)


(比嘉かな子さんのエッチング「骨のカチャーシー」の写真をいれようとしましたが、できません。ログイン情報の有効期限が切れて、とか出るので、色々やってみたのですが、まだできません。比嘉かな子さん、ごめんなさい。「毎日新聞」の1月30日号にも、南部の土砂問題のコラムに詩のことが少し載り、銅版画、とあるようです。






  


Posted by NORIKO at 13:59Comments(0)

2022年01月13日

骨のカチャーシー

  
英訳詩が銅版画、国際交流展に
                                  芝 憲子  

このほど私の詩が銅版画になり、英訳詩が「2021版と言葉・版画集による国際交流展」に出されました。50人余の版画集は国内外一〇大学に寄贈、保管されます。版画家の比嘉かな子さんは1971年沖縄に生まれ、沖縄県立芸術大卒、ベルギーの美術大や、パリのアトリエ・コントルポワンで学び、2010年からベルギー在です。沖縄に心を配り、私の詩に注目されたのも南部の土砂問題からで、版画はガマフヤーの具志堅隆松さんにもさしあげます。復帰50年記念で、今までで一番力を入れた作品とおっしゃり、大変ありがたいです。(英訳 比嘉かな子、竹田秀輝)
(ここに、銅版画の写真を入れようとして、うまくいきません。
            あとで別記事にして入れられるとよいですが。詩だけ先に入れます。)


  詩 「骨のカチャーシー」  

南部の野山で
あけがたに
ずらりとそろって
カチャカチャカチャ
骨たちが踊る
カチャーシー

半分になった頭蓋骨ふりふり
苔の生えた足の骨曲げて
カチャーシー

これは俺の腕の骨ではない
でも今となってはどれでも同じ
どこの誰だか
気にするものなどいはしない
とにかく骨が集まって
踊ることだけが俺たちの楽しみ
みすぼらしい姿を忘れ
木の枝を踏み鳴らして
ひたすら踊る
カチャカチャカチャ

太陽が輝き出すと
草むらに横たわらねばならない
それから始まる長い長い一日

でも俺たちはいつまでもここにいる
ここで殺されたと証明するために
殺したやつらを忘れないために
やつらが今何をしているか知るために
簡単に拾われて
神社にまつられたりしない  (英訳ここまで) 

そのうち生きている人たちと踊るのだ
野山から街に繰り出して
俺の得意な三味線(さんしん)をかき鳴らして
島いっぱいにカチャーシー
そうなったら矢も楯もたまらなくなって
島までドッカドッカと踊り出すだろう
さぞ無様なかっこうだろう

明日(あす)の踊りを楽しみに草むらに横たわると
生きている人はのろのろと起きあがり
つらい昨日(きのう)を思い出す
それから始まる短い一日

  (1974年詩集『骨のカチャーシー』、2021年『1/2』65号より)

  


Posted by NORIKO at 23:02Comments(0)エッセイ

2022年01月13日

1月13日の記事

ブルーアクション・日本母親大会
                                芝憲子

十一月六日、オール沖縄主催、辺野古新基地反対の第二回ブルーアクションが行われました。コロナ・ウイルス以前、毎月第一土曜日を「行動日」として、各地域からバスを借り切って辺野古に行っていました。その行動日を再開して「ブルーアクション」となりました。再開にともない、抗議行動を辺野古だけでなく、各地域でスタンディングを行うとともに、オンライン活用になりました。

第一回は十月六日に行われました。那覇の県民広場に行きました。三〇人位で、青色のものを身に着け、十一時から三〇分スタンディングを行いました。その後、衆議院選挙前だったので、残れる人は残って、あかみね政賢さんののぼりを出して選挙のスタンディングをしました。

第二回の六日は大雨で雷も鳴りました。私は「雨くらいではやめられない。沖縄戦を考えればなんでもない」と出かけました。横断幕「民意を無視する自公政権・辺野古の埋め立てただちにやめろ・新日本婦人の会・那覇支部」というのを預かって、しばらく一人でしたがFさんがみえて助かりました。その後島ぐるみ会議などの人々と一〇人位で計三枚の横断幕を掲げました。後で辺野古のテントでの集会をパソコンで見ました。オール沖縄の議員さんたち(落選した方も)、各団体代表など、みな良い挨拶をなさって元気が出ました。沖縄詩人会議の豊島晃司さんも、ヘリ基地反対協代表として、話されました。沖縄市と北部会場の様子は早坂義郎さんがニュースにしました。

十一月十三日(土)は、第六六回日本母親大会ⅠN沖縄でした。予定が一年延びてオンラインで、沖縄は八汐荘が主会場でした。全国で一万二千人という、ここ四,五年で最多の人数が参加しました。「しおり」のとびらに私の詩「おかあさん」がのりました。仲山忠克弁護士の記念講演「核も基地もない平和な未来を子どもたちへー生命の尊厳が保証される社会をめざして」が非常に力強く、感動しました。有島武郎の引用から始まり、井上ひさしや、北村透谷も出てくる、文学者の影響も大きい、根源的な戦争否定論でした。
                              
( 『詩人会議』 2022,1月号)
  


Posted by NORIKO at 18:48Comments(0)エッセイ

2021年12月24日

復帰50年

 復帰5〇年
               芝憲子

あの日から
五〇年もたったとは
大雨の 
ドロドロの 
憤まんの
おおぜいで高揚した
与儀公園の日から

二五才だった
一ケ月少し前に船で那覇港に
毎日「暑い暑い」と
ドルや 斤 に慣れようとした
不動産屋もなく
歩いて「貸室あり」の看板で決めた部屋
水をかぶって暮らした

そのアパートも
次に移ったアパートも
建物はなくなり
隅に日日草が咲く狭い駐車場になった

こころに建ったり崩れかけたりする 
沖縄
ひとすじなわではいかない
だが 信頼する人々に出会い
そのあいだで暮らしている

独自の
泥の
高揚の
これからは
本土が 
沖縄の人たちに
復帰する番だ


(『詩人会議』2022.1月号)
 

  


Posted by NORIKO at 20:46Comments(0)

2021年12月24日

12月24日の記事


 書評 『治安維持法体制に抗して―近代沖縄反体制運動史 史資料』
         田港朝昭 著
 
 本書は、社会科教育学専門で、沖縄歴史研究者でもある著者が、1920年から1945年までの沖縄の貴重な資料のうち、沖縄戦で焼失を免れた民衆の資料を一部発見し、今までの資料を含めて人名別にきちんと整理して新しくあらわしたものです。全体が次のような項目で構成されています。

「沖縄県反体制運動史」「治安維持法沖縄関係犠牲者一覧」「事件・資料別名簿」「1930年代 教員運動関係者名簿」「文献別人名表」「治安維持法犠牲者を調べる」講演「思想問題に就いて父兄諸氏へ」(文部省督学官) 「沖縄人民の戦いの歴史」(対談 田港朝昭 新里恵二 司会・・犬丸義一)「用語解説」「年表―帝国憲法・フアシズム体制下の民衆」などです。

今まで断片的に聞いたり読んだりしていた、治安維持法に抵抗した人々のことが、系統的にわかるようにまとめられています。私などには初めて知ることも多く、『沖縄労農タイムス』という、繰り返し発禁処分に合った印刷物があったことなどもそのひとつです。また、対談の中で、「新里(恵二)・・戦後になると伊波(普猷)先生は短期間ですが共産党に入党して、共産党員として死にますね。あまり知られていないことなので、この機会に指摘しておきたいと思います」と語られたりしています。

人数としては770人余の人々の実名が表になっており、その多さにおどろきます。よく知られている名前も少しありますが、ほとんどが知られていない方々だと思います。「検挙、死去、懲戒免職、退学、無期停学」などが容赦なく並ぶこの方々のその後を考えさせられます。

1930年代教員運動関係者名簿は、「国吉真哲氏(ジャーナリスト)が保存している原本を宮城義弘氏(ジャーナリスト)がコピー・・」とあります。反体制運動の縁の下の力持ちの方々の系譜が現在につながっている、と思いました。現在の辺野古新基地反対運動にもつながる沖縄の人々の勇敢さを再認識させられます。                            
  
    芝憲子(詩人)

  治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟沖縄県本部 発行
  大城辰彦編集
             (990円)

     (『沖縄タイムス』 2021.9.25)





  


Posted by NORIKO at 20:27Comments(0)エッセイ

2021年12月21日

村田 正夫 没後10年、『潮流詩派』特集

私が選んだこの一篇
「お大事に!」                 芝 憲子


 『現代平和詩集』に収められた「お大事に!」を選ばせていただきます。
この詩には、村田さんの詩の特徴である、社会性、明快性、ユーモア、独自の視点などが凝縮されています。一年のなかで最も心に残る日が、誕生日とかでなく、八月一五日だというのは、いかにも村田さんらしい、原点を忘れない表出です。

「じりじりと暑い/ 戦争と平和が/神話と歴史が/すぱっ と別れた日」 
と 体験を含めて明快に言い切ります。 そして「平和も年をとるもんだ」ということばにはっとさせられます。独特のすぐれた感性です。「年をとって ある日 ぽっくり逝く それが危ない」誰もが平和 平和と言っているうちに ボケて、再び戦争がくる、というのをいかめしいことばでなく、本質をついた表現であらわしています。「八月一五日には 血圧を測るように 平和を測れ お大事に!」と突き放して終わっていますが、この意識はとても大事なことです。村田さんにとって、平和が何よりも大切だということを表していると思います。そのことを、理屈っぽくなく、あっさり言い放って、詩にしているので、かえって心に残ります。平和をテーマの詩がたくさんあるなかで、特に「平和」という言葉を直接入れた詩はむずかしいと思うのですが、村田さんは、サッと適切なことばを選び出して、大げさでない詩にします。
 
 自分のことになりますが、私はたぶん19才くらいから潮流詩派に入り、詩のグループとして初めてのところだったので、村田さんの影響を大きく受けたと思います。入ったのは、川崎の高校の文芸部の顧問だった、平田好輝先生が紹介してくださったからです。平田先生も、村田さんも、詩だけでなくエッセイや評論をよく書かれ、「潮流詩派」の誌面を割いており、会員になった私も自然に両方書くようになりました。潮流詩派は、そのころ風刺詩に力を入れていて、「NON砲」という風刺詩の詩誌も出していました。村田さんたちの話によく出てくる、風刺的な詩も書く詩人たちー小熊秀雄、金芝河、石川啄木、遠地輝武、山之口貘、マヤコフスキー、ジャック・プレベール、壷井繁治、長谷川龍生、谷川俊太郎、城侑、佐藤文夫、石垣りん、岩田宏、石川逸子・・・等々の詩人たちの詩を読んで、詩とは面白いものだと、思ったことでした。

村田さん本人も、冗談をよくおっしゃる、話好きな、面白い方でした。村田さんは誰よりも「詩人」であろうとしていたと思います。「いつも詩のことを考えているかどうかだ」とか「詩人は少し変わっていなくちゃ」とかおっしゃっていました。残した膨大な数の詩と評論は、まちがいなく立派な詩人であることを証明しています。言葉は正確ではありませんが、「詩人くらいは金にも名誉にもペコペコしない方がい」という意味のことをおっしゃっていました。その点村田さんはこれだけ大きな仕事をしながら、変に人にこびず、独自路線を貫き通しました。

私自身は「詩人会議」に移りましたが、ずっと後に、潮流詩派にもいたことがある人の詩に大量盗作を見つけてしまい、村田さんに最初に相談しました。アドバイスは明瞭で「書くように」ということでした。私に続き、書くことを引き継いでくださった(故)石川為丸さんに感謝するとともに、できるだけ「自分の言葉で書く」ことが大事だということを、村田さんが教えて下さったと思います。
 
 亡くなっていく私たちの詩やエッセイは、大方は消えていきます。「忘れられないためには長生きすることだ」と、村田さんは冗談交じりにおっしゃっていました。せっかちな村田さんは、急いであの世へ行ってしまわれましたが、麻生直子さんと「潮流詩派」のおかげで、このように立派に残り、幸せな詩人だと思います。   

  (『潮流詩派』267号 2021.10)                           
  


Posted by NORIKO at 10:23Comments(0)エッセイ