天国記者

NORIKO

2023年05月15日 11:21

   
      天国記者   
                       芝憲子



いつも かならずいた
カメラを下げて 最前列に

二〇二三年二月一日のメール
 芝さんへ 昨日は電話ありがとうございました。
 原稿の件は、正直現在の健康状態では自信がありま
 せん。まだ、今後の治療方針も定まっていませんの
 で、心が揺れ動いている状態なのです。
 三日に家族と共に千葉に帰ります。 早坂義郎

二月二六日 亡くなったちょうどその日
わたしはメールを送っていた
 その後いかがですか。こちらは名護共同センター
 ニュースがなくなったので大痛手です。県民広場で
 昨日は辺野古国会請願署名のキックオフ集会、今日
 は「島々を戦場にするな、沖縄を平和発信の場に緊
 急集会」で、デモもありましたが早坂さんがいらっ
 しゃらないので寂しい限りです。今日のメールは近
 所の民商会員の方のことです。肺ガンがステージ4
 で余命数か月といわれたそうですが、わたしが行っ
 たとき、その日の検査でとても小さくなったと喜ば
 れガンはなおるから教えたいとおっしゃり、フコイ
 ダンを毎日とる、食事は沢山食べる、新薬は・・・

もっと話したかった 後悔のなか
ひとつだけ伝えてよかったこと
いつかの集会の帰り日頃思っていたことをいった
「尊敬していますから」
不審な顔で
「だれが だれを?」ときいた
「わたしが 早坂さんを」といった
表情はおぼえていない
だまってあるいていった
あのとききっと
パレット久茂地の舗道が
イワシ雲に変わっていった

 (『詩人会議』2023.6月号 特集「今、沖縄からの発信」より)

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