2021年07月04日
現実を元に自由に
現実を元に自由に
芝憲子 芝憲子
このごろあまり色々考えずに詩を書いています。何となくこのことが書きたい気がする、という感覚で書きはじめています。詩作の方法も、自由に書きやすい方法で書いています。ただ、現実と詩については、以前から変わらない考え方なので、以前書いたものを確かめました。「新しい現実の中での詩への反映」というタイトルで、『詩人会議』に1978年に書いています。「詩と現実について、私に言えることは簡単なことしかありません。夢も現実がもとになって見るのだ、ということと、もう一つは、詩のフィクションの世界も現実感がなけれぼ感動しない、ということです。眠ったときに意識下の夢を見る場合も、不思議なことですが、現実にあるものに全く無関係な夢というのは見ようがありません。まして詩は、ことばという十分意識した機能を使って作るのだから、作者の現実の体験なり考え方が大きく反映します。だから私はその『元』をできるだけしっかり捉えたいと思っています。現実の自分を規定する社会的、歴史的な位置もできるだけはっきりさせたいと思っています。そういうことが詩に現実感を持たせる結果につながると思っています。また、現実、現実と声高にいうと、何か夢や想像を軽視したりするような傾向にとられると困るのであり、原則的には現実を深くとらえればそれだけ想像も豊かに働くはずです。」
遺骨、遺品について
沖縄ではご承知のように、今、沖縄戦の遺骨が混じった南部の土砂を辺野古の埋め立てに使わせない、という動きが大きく広がっています。新基地に反対でない人でも、それは許せないと、県議会でも全会一致で意見書が可決されました。遺骨収集のガマフヤーの具志堅隆松さんがハンガーストライキを行い、共感を集めました。私はこの現実に、自分の詩がらみで関わらずにはいられません。私が七〇年代に書いた詩「骨のカチャーシー」は、沖縄戦で亡くなった方の骨が夜になるとカチャーシーを踊る、という内容だからです。私は「俺たちはいつまでもここにいる ここで殺されたと証明するために 殺した奴らを忘れないために 簡単に拾われて神社にまつられたりしない」と書きました。私が実際に見た一体の遺骨も南部の山にありました。作家の嶋津与志さんに案内されました。遺骨のそばには新しい豆球が落ちていたので、嶋さんは、自分のほかにも前にカメラマンなどが来たのだろう、これは日本兵の遺骨だろうとおっしゃっていました。遺骨は野ざらしのままで、私は「野ざらし」という詩も書きました。骨がつながってフラフラする、踊るというのは、私が夜見た夢だったと思います。自分が日本兵の骨になったつもりの想像で書きました。しかし、具志堅さんたちは、遺骨は遺族に返すのが本来で、ガマの中のは掘り出して返したい、と一生をかけてその仕事をなさっています。私の詩のように「いつまでもそこにいる」のは不本意なのです。現実についての認識が変わってきます。。具志堅さんとは、以前辺野古行きのバスで何度かご一緒していて、今回のハンストのときもお会いしてお話ししました。DNA検査ができるように、保存の遺骨が700体もあるそうです。そしてそばにあった遺品は拾わず、「そこに倒れていた証拠になるから」とおっしゃっていました。お話のごく一部を元に詩「ボールペン」を書きました。(詩誌『1/2』64号)
さらに土砂問題の少し前から、国吉勇さんという沖縄戦の遺品をものすごく保管している方がいて、驚嘆していました。具志堅さんの先輩にあたるような方で、遺骨収集を六〇年以上した方です。遺骨は県や国の施設に収め、遺品を預かるところがなくて自宅に保管なさっているのです。ものすごい量で十数万点だそうです。自宅を戦争資料館として訪れる人に見せていたのですが、遺品を持っていく人が出たため一般には閉めています。私は詩「国吉さんの家」を『詩人会議』6月号に書きました。個人の家にこれ以上保管は無理で、早く公的な所に移さければなりません。最近、写真集『沖縄戦の戦争遺品』(豊里友行 写真と解説、新日本出版社)が出版され、国吉さんの驚異的な仕事が明らかになりました。遺品が散逸しないように保管場所の確保が急がれます。
(『詩人会議』 2021,7月号)
芝憲子 芝憲子
このごろあまり色々考えずに詩を書いています。何となくこのことが書きたい気がする、という感覚で書きはじめています。詩作の方法も、自由に書きやすい方法で書いています。ただ、現実と詩については、以前から変わらない考え方なので、以前書いたものを確かめました。「新しい現実の中での詩への反映」というタイトルで、『詩人会議』に1978年に書いています。「詩と現実について、私に言えることは簡単なことしかありません。夢も現実がもとになって見るのだ、ということと、もう一つは、詩のフィクションの世界も現実感がなけれぼ感動しない、ということです。眠ったときに意識下の夢を見る場合も、不思議なことですが、現実にあるものに全く無関係な夢というのは見ようがありません。まして詩は、ことばという十分意識した機能を使って作るのだから、作者の現実の体験なり考え方が大きく反映します。だから私はその『元』をできるだけしっかり捉えたいと思っています。現実の自分を規定する社会的、歴史的な位置もできるだけはっきりさせたいと思っています。そういうことが詩に現実感を持たせる結果につながると思っています。また、現実、現実と声高にいうと、何か夢や想像を軽視したりするような傾向にとられると困るのであり、原則的には現実を深くとらえればそれだけ想像も豊かに働くはずです。」
遺骨、遺品について
沖縄ではご承知のように、今、沖縄戦の遺骨が混じった南部の土砂を辺野古の埋め立てに使わせない、という動きが大きく広がっています。新基地に反対でない人でも、それは許せないと、県議会でも全会一致で意見書が可決されました。遺骨収集のガマフヤーの具志堅隆松さんがハンガーストライキを行い、共感を集めました。私はこの現実に、自分の詩がらみで関わらずにはいられません。私が七〇年代に書いた詩「骨のカチャーシー」は、沖縄戦で亡くなった方の骨が夜になるとカチャーシーを踊る、という内容だからです。私は「俺たちはいつまでもここにいる ここで殺されたと証明するために 殺した奴らを忘れないために 簡単に拾われて神社にまつられたりしない」と書きました。私が実際に見た一体の遺骨も南部の山にありました。作家の嶋津与志さんに案内されました。遺骨のそばには新しい豆球が落ちていたので、嶋さんは、自分のほかにも前にカメラマンなどが来たのだろう、これは日本兵の遺骨だろうとおっしゃっていました。遺骨は野ざらしのままで、私は「野ざらし」という詩も書きました。骨がつながってフラフラする、踊るというのは、私が夜見た夢だったと思います。自分が日本兵の骨になったつもりの想像で書きました。しかし、具志堅さんたちは、遺骨は遺族に返すのが本来で、ガマの中のは掘り出して返したい、と一生をかけてその仕事をなさっています。私の詩のように「いつまでもそこにいる」のは不本意なのです。現実についての認識が変わってきます。。具志堅さんとは、以前辺野古行きのバスで何度かご一緒していて、今回のハンストのときもお会いしてお話ししました。DNA検査ができるように、保存の遺骨が700体もあるそうです。そしてそばにあった遺品は拾わず、「そこに倒れていた証拠になるから」とおっしゃっていました。お話のごく一部を元に詩「ボールペン」を書きました。(詩誌『1/2』64号)
さらに土砂問題の少し前から、国吉勇さんという沖縄戦の遺品をものすごく保管している方がいて、驚嘆していました。具志堅さんの先輩にあたるような方で、遺骨収集を六〇年以上した方です。遺骨は県や国の施設に収め、遺品を預かるところがなくて自宅に保管なさっているのです。ものすごい量で十数万点だそうです。自宅を戦争資料館として訪れる人に見せていたのですが、遺品を持っていく人が出たため一般には閉めています。私は詩「国吉さんの家」を『詩人会議』6月号に書きました。個人の家にこれ以上保管は無理で、早く公的な所に移さければなりません。最近、写真集『沖縄戦の戦争遺品』(豊里友行 写真と解説、新日本出版社)が出版され、国吉さんの驚異的な仕事が明らかになりました。遺品が散逸しないように保管場所の確保が急がれます。
(『詩人会議』 2021,7月号)
Posted by NORIKO at 04:39│Comments(1)
│エッセイ
この記事へのコメント
暑い日が続いていますが、お元気でいらっしゃいますか? コロナが収まる気配もなく、今年はまだ一度も沖縄に行かれずに8月もおわりそうです。
8月15日、靖国神社前での具志堅さんのハンストに支援するスタンディングに参加しました。 14日も15日も、それまでの暑さとは打って変わって、寒いくらいの日で、一日中、雨が降っていました。 具志堅さんは、「沖縄では大きな運動になってきているけど、これを日本中に広げてほしい」と最後におっしゃいました。
まだまだ「南部の遺骨の残る土砂の問題」を知らない人がたくさんいます。 日本中で、意見書の採択がなされるようにと、運動が始まっています。 川崎でもできないかと、今、模索中です。
先日、国会図書館へ行って、やっと、「骨のカチャーシー」を読んできました。 タイトルになっている「骨のカチャーシー」と「タイムマシーン」を写してきました。 魂魄の塔のあたりを思い出しながら、繰り返し読んでいます。
8月15日、靖国神社前での具志堅さんのハンストに支援するスタンディングに参加しました。 14日も15日も、それまでの暑さとは打って変わって、寒いくらいの日で、一日中、雨が降っていました。 具志堅さんは、「沖縄では大きな運動になってきているけど、これを日本中に広げてほしい」と最後におっしゃいました。
まだまだ「南部の遺骨の残る土砂の問題」を知らない人がたくさんいます。 日本中で、意見書の採択がなされるようにと、運動が始まっています。 川崎でもできないかと、今、模索中です。
先日、国会図書館へ行って、やっと、「骨のカチャーシー」を読んできました。 タイトルになっている「骨のカチャーシー」と「タイムマシーン」を写してきました。 魂魄の塔のあたりを思い出しながら、繰り返し読んでいます。
Posted by 加藤素子 at 2021年08月26日 23:27